何かをしようとしない

学校を辞めて塾をはじめたんだけど。
そもそもわたしは基本的には「塾」なんか必要ないと思っていて。
なんのためにはじめたんだっけ。と、
少し思い悩んでいた。

そんな中で、お子さんにただ
寄り添う
というかたちをナチュラルにとっている親御さんの姿を見て、
ああ、わたしがしたいのはこれだった
と思い出した。

これから指導が始まる中学生のお子さんと
今後のプランについて面談して、
あーなんにもできなかったな、と
自己ジャッジに陥って
ちょっとへこんでいたのだが、

そもそも
わたしにできることなどなにもない。

やり遂げるのも
やり遂げる力を出すのも
子どもたちでしかない。

わたしはただ、それを近くで見守ることしかできないんだった。

必要だと感じたことは発信するし、伝える。
でもそこに無駄な「意図」はいらない。

スイッチを、
「押そう」としたところでどうにもならない。

結局、最終的にスイッチを押すのも、彼らであって。

すごいのは、指導者ではない。

ただ、彼らに、彼らの持つ「すごさ」に気づかせるのがわたしたちの役目であって。

何もできない。
ただ、そばで見つめるだけ。

もしもプロだ、というのであれば、
寄り添いのプロになる、
それだけなんだった、
そうだったそうだった、と、思い出した。

…………

何がきっかけになるかなんて、
意図はできない。

いつ、どんなかたちで花開くのかも、
誰にもわからない。

ただわたしが、わたしとして、
そのひとたちとかかわることで、
かかわったひとたちが、勝手に変わるのだ。
もし、変わる必要があれば。

できることなどなにもない。
わたしの役目はそれだった。

そして、大人の役目も、親の役目も、
そうなのだろう。

ただ、彼らの力を信じる。

…………
いつも、かかわるひとたちに
大事なことを思い出させてもらっている。

…………
ずっと、やってほしい、と言われてて、
なんか違うんじゃないかなあ、と思ってたけど
やっぱり塾としての大人向けのなにかも、
必要なのかもしれないな、とも思った。
それは、いろいろな生徒や、その、いろいろな親御さん、そこにかかわる教員含むいろいろな大人を見てきたからこそ、
できることなのかもしれない。

おうちじゅくウーレイカ‼

ひとりひとりの「気づき」を大切にするまなびばです。

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