「国語ってこたえがないから苦手だったんですよね」
「国語ってこたえがひとつじゃないし」
「主人公の気持ち、とか言われてもわかるわけがない」
これまで何度も何度も耳にしたり目にしたりしてきたフレーズです。
国語の問題には、
「こたえがある系」のものと
「こたえがない系」のものと、ふたつある、というのがわたしの見解です。
今回は「こたえがある系」のはなし。
受験国語、テスト国語の場合。
国語にも、もちろん明確なこたえがあります。
「傍線部①とはどういうことか。五十字以内で説明せよ。」
「傍線部②のときのA太郎の心情として最も適切なものを後から一つ選び記号で答えよ。」
作者じゃないからわかんない!!
いいえ、
わかるんです!!
作者の気持ちはわかりませんし、エスパーではないので、主人公の気持ちもわかりません(そもそも、人の気持ちなんてわからないもの、というのがわたしのものの見方)が、
文章にちりばめられている「理由」「根拠」をみつけだして答えを導き出すのです。
②「A太郎は泣いていた」
として、「あー泣いてるのね、悲しいんだな、だってオレは悲しいときに泣くからよ……」
と、独りよがりなこたえの導き出し方をしてしまってはいけない × わけです。
②「A太郎は泣いていた」
のだけれども、はい、
・A太郎の他の登場人物とのやりとりはどんなふうに書かれているかな?
・そもそもA太郎くんの性格ってどんなふうに書かれているかな?
・文中の記述・表現・描写でヒントになるところはあるかな?
などなど、
「本文中ではどのように書かれているのか」をもとにこたえを導き出すのです。
「あなたはどう考える?」「あなたはどう読む」は聞かれていない。
「本文にはなんて書いてありますか?」
ということなのです。
主観で答えるのは ✕ !!
客観的視点で本文から根拠を見つけ出す
ことが、国語の問題を解く上で重要です。
評論も小説も同じ。
「傍線部①とはどういうことか。五十字以内で説明せよ。」
のような記述式問題の場合、もしかすると、
「なによ答えはたくさんあるじゃない」とお思いになるかもしれませんが、
これまたそんなことはなくて、
「①本文の内容にのっとり、
②既定の字数を満たしており、
③誤字脱字などに問題がなければ」 〇!!
ということになります。同じことを説明する場合でも、言葉選びによって表現方法が変わるので、一見「たくさんこたえがあるように見える」かもしれませんが、
「言ってることは同じだよね」
というわけです。
ちなみにわたしはこれをわかりやすく示すために、高校では実際に生徒たちに解答を黒板にいくつか書いてもらい、比較しながら「ほらね実は全部正解なのよ」を示すかたちの問題演習型授業を行っていました。
こちらかなり好評で、国語ギライが「国語、そんなに悪くなくね??」に変わったり、
自分で答えを導きだすことに、自信が持てたりしていたようです。
「やばい!問題解いてるのに感動して泣いちゃう!!」
「どうしよう……この文章つまらなすぎて何にも頭に入ってこない……」
(伝説のセンター国語、江國香織さんの『デューク』‼
そういえばわたしも高校時代模擬試験の国語で泣いたことが……)
あなたの主観はとっても大事。何を感じてもそれは自由、なのですが。
受験や試験のための国語の場合は、とりあえずそれを置いといて、
本文にはどう書いてあるのか
こたえを導く手がかりはどこか
それを探していきましょう。
真実はいつもひとつ!!
じゃあ「こたえがない系」って何なんですか?というのは
また次回。
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